ミニッツの長谷川です。2022/4/22にパック開封配信アプリ「ミニッツ」のサービス半年後のリリースを発表させていただきました。現在、エンジニア含め多方面の方からお声がけやチームへのジョインをいただいています。面談や日々の業務の中で私の過去や、起業に至った経緯などについて話す機会が増えてきたので、改めて言語化しようと思いまとめました。
- エンジニアとして今後のキャリアやモデルケースが少ない
- 正直、多くの選択肢がある中でキャリア迷子になっている
- フリーランスエンジニアとして働いているものの、次の心の燃やしどころがわからない
などの思いがある方にとっては、私の経験踏まえてほんの少しはお役に立てるかもしれません。
いちエンジニアとしてキャリアの軸にしてきたこと
私がエンジニアとしてキャリアの軸にしてきたのは、「起業するための経験・スキルを培うこと」でした。そもそも、起業を意識したのは父や親戚からの影響が大きいです。父親が会社を経営していることや親戚に経営者がいたことから、自分もいずれ経営者になると考えていました。
自分が生まれた年に父は創業しており、起業家や経営者という生き様を見て育ったことは自分の価値観形成の大きな要因だったかもしれません。学生時代にふと自分の進路を考えた時に、「プログラミングができたら事業やプロダクトを作れるだろう」と思い、大学に行くのではなく、短期間で知識を身につけ社会に出て経験を積むために、専門学校でプログラミングを学ぶことを選びました。
新卒で株式会社PECOに就職し、動画アプリの開発や海外向けアプリ・新規ECサービスの立ち上げをサーバーサイド、リードといったロールで経験させていただきました。ファーストキャリアでさまざまなサービスの開発に触れたことは、私にとって大きな資産となっています。また、事業を成功させるためにはどう作るかだけではなく、何を作るかも大切な要素だと実感しました。
日々業務を続ける中で強く実感したのは、エンジニアとしてスキルを積み上げていくよりも、自分が事業を立ち上げた時に成功の確度をあげられるような経験を積むべきだということでした。そういう意味合いで、一つの開発領域を深堀していくというより、リードエンジニアとしての事業立ち上げや、プロダクトマネージャーとして経験を積みたいと思い、ラクスル株式会社へ転職します。
ラクスル株式会社では、物流事業のハコベルコネクトのプロダクトマネージャー、運送会社向けのアプリの立ち上げを経験しました。身に余る挑戦の機会を多くいただきましたが、正直PdMとして事業を成功へと導くことはできなかったと感じています。さまざまな要因があったかと思いますが、チームを動かすスキルや自分の弱さや足りない部分を曝け出してでもコトに向き合うスタンスや在り方が自分には足りないことを深いところで認識しました。
ラクスル株式会社では優秀な方と働く中でのたくさんの学びや楽しさはありましたが、事業に本気で向き合えない自分がいました。そこで、「事業を自分ゴト化し、自分の熱量を投下できるのは起業しかない」と起業に向かうためにラクスル株式会社を退社することにしたのです。
キャリアの選択肢として、なぜ「起業」を選んだのか
ラクスル株式会社を退社後は、フリーランスをしながら起業準備をしていくことになります。フリーランス期間中は、一定の報酬をいただけていましたが、「誰かの事業に携わる状態だと、自分の熱量を最大限発揮できているかわからない」と感じることが多かったです。一定の報酬はいただけますし、働く場所や時間の融通も効きやすいため非常にありがたい環境でしたが、このままでいいのかなと不安に感じることもありました。
また、フリーランスとして仕事を進める中で、与えられたタスクにはプロとして全力で応えるものの、どこかプロジェクトに対して自分の120%を注げない違和感がありました。エンジニアとして開発にコミットすることや、大きな組織で世の中の課題を解決することは確かにやりがいがあり、貴いことだと思います。一方で自分の起業という目標と現状を照らし合わせた時に、どこかで決断をして進まなければいけない状況だったのです。
自分の人生をどうしたいか?と問いかけた時に、「自分の価値が生きる場所で120%の熱量を投下して生きていたい」と思い、それができる場所が起業することだと腹が決まっていきました。
ミニッツの創業に懸けたもの
そんな中、業務委託先で共同創業者の山本さんに出会います。山本さんは、学生起業やFablicで事業責任者を経験した人材であり、アプリビジネスに造詣が深くマーケットプレイスに関する知見を多く有します。彼も現状に満足しておらず、起業のタネを必死に探している状態でした。私と山本さんが共通していたことは、「事業成功」というコトに向き合う姿勢と、自身が最大限価値を発揮できる場所で熱量を120%投下したいというこだわり、何より世に価値あるものを創り上げたいという意志でした。
別の方から共同創業者として一緒に起業しないかとお誘いいただくことは多かったのですが、「自分でやりたい」と断っていました。ですが、山本さんとキャリア観や起業に関する対話を重ねる中で、「この人となら成功の確度を上げられる」と思い共同創業する形になったのです。山本さんからミニッツのトレカ特化型ライブコマースのアイデアを聞いた時に「これならいけるかもしれない」と胸が高鳴ったことを今でも覚えています。
実は当時、結婚をして妻のお腹の中に命を授かっていました。「育児や妻の体調を考えると、働く時間をうまく調整できて一定の報酬も得られるフリーランスの方が適しており、起業するのはもう少し先にした方がいいのではないか」「もう少し経験を積んでから起業するのも、事業の成功確度を上げる観点で悪くないのではないか」そんな思いもありました。ですが、山本さんに出会いミニッツの創業アイデアを話し合う中で、自分の命を最大限燃やせるこのチャンスを逃したら次はもうないと思い共同創業の道を選んだのです。
収入が下がることや子どもとの時間が減ってしまうことに対して理解をしてくれ、背中を押してくれた妻や、仕事に打ち込む中でふと癒しをくれる娘には頭が上がりません。収入は減り、妻には多く負担をかけてしまっています。ですが、そんな中でも私の背中を押してくれる家族のために事業を絶対に成功させます。ミニッツ創業という道を選んだ時に、家庭か仕事のどちらか一方を幸せにするという選択肢ではなく、仕事での成功は大前提として家庭も絶対に幸せにすることを決めました。
「事業がうまくいっている」「ユーザーからいい反応を得られている」などポジティブな反応は確かに嬉しいですが、事業を成功に導くことが家族の幸せを叶えるための最低条件だと思っています。そのため、CTOとして、一人のパパとしてこれからも挑戦を続けてきます。
ミニッツはPOCから2カ月という短い期間でサービスリリースへと進んでいます。手触り感のある事業を持ち熱量を注ぐと、ここまで夢中になり、周りを巻き込めるのだと日々熱狂しています。サービスはリリース数カ月でGMVが数千万円を超え、ユーザー数も急増加中です。山本さんというマーケットプレイスの原理を理解したパートナーと一緒に粛々と事業成長に向き合えています。今後は新規事業やグローバルへの展開も見越しており、シリーズAの調達もFIXを予定しています。これからさらに面白い景色が見れるのではないかと感じています。
お決まりですが・・・
最後にお決まりの流れで大変恐縮ですが、ミニッツでは、採用を急ピッチで進めています。シードの調達を12月にリリースさせていただきましたがシリーズAの調達もFIX予定で、ここから大きくアクセルを踏む段階です。私の代わりにプロダクトマネジャーを担っていただける方やエンジニアの方を探しています。開発は企画やイシュー特定から携われ、優秀なエンジニアと一緒に働けます。新規事業や今後の展開などここでは書き尽くせないこともあるので、ぜひ一度お話しさせてください。今流行りのMeetyで話しましょう。エンジニアとしてのキャリアや起業についての相談でも大丈夫です(できればミニッツで一緒に頑張りたいですが笑
・Meetyのリンクは下記になります
・創業者、山本さんについて/創業エピソード
・ミニッツのプレスリリース
・アプリ研究所にて取材いただきました